子どもを育てる。その大変さは、子どもを育てている現場の方しかわからない。
多分、経験者はあくまでも過去の経験で、今考えると・・・という具合で、
子育てに直面している親こそがすべての実態を知り、すべての苦労を背負っているといえる。
そもそも、子どもを育てる=親というのは間違いで、
親は子どもの親でしかなく、育てる人ではない。
便宜上の保護者であるものの、あるいは最終決定権をもつ存在でしかない。
決定権のあるものと実行者は別にいるというのがどんな組織や社会でも同じように、
子育てなどさらに繊細な技術ややりくりが必要なので、
別個の存在でなくてはならないというのだが、
昨今は、「子育て=親がするもの」だと勘違いされている中での「子育て」とは
まさに、大変なご苦労を背負わせているということになる。
実際に、私自身は、親に育てられたなどという風には思っていない。
親には僕が育つ環境に誘導してもらった。
育つためのさまざまな環境を与えた存在であると感じているのである。
また、孝行の思いとは、まさに「直結じゃない」からこそ感じるところで、
間近でかかわった怒鳴りつけたおばさんよりも、
遠目で守ってくれた方に感謝を感じるものだ。
それがいわば親であるべき存在だと考える。
私事ではあるが、多分多くの人の過去を振り返ればなるほどそのとおりということも分かる。
親は基本的に20~40代のいわゆる「働き盛り」である。
ここで働かざるしてどこで働くのか!?という社会的にも重要な世代である。
誰が育てたるのであろうか!?
結局は、地域社会であったり親族であったりする。
いわゆるコミニティーが子どもを育てることになるというのが
長い人間の歴史をみるに当然の慣わしである。
赤ちゃんとセットで見るイラストや写真。
たいていそこにいるのは若いママではなく、「おばあちゃん」であることが多い。
若いママと赤ちゃんがセットに出てくるのは、寝ころがっている赤ちゃんとママの絵。
夜な夜な仕事の後に赤ん坊にかまうその姿がまさに、親との関係性である。
それ以外の部分は、親以外の人間がかかわるのが当然である。
それ以外は、結局子どもは家を飛び出し、外で遊ぶ。
遊ぶ上で、地域コミニティーとのつながりが基調になってくる。
いつもお菓子をくれるのは、八百屋のおばさん。
いつも怒鳴り散らす、工場のおじさん。
釣り竿を貸してくれる、おじいさん。
彼らはそれぞれのコミニティの人の中に入り込み、
あるいはそのコミニティは子どもを受け入れ守り育てるのである。
土足でお客さんがいる八百屋に入り込んだら、おばさんも怒る。
当然、そのルールをわきまえるようになる。
工場のおじさんもタマには、おもちゃをくれたりするし、
キャッチボールを教えてくれるから、仲良くしておいて損はない。
そのやり方を学ぶ。駆けずり回る場合もある。
そして子ども同士のコミニティがある。
親がそこにいるとできない事がたくさんあるのである。
そして、・・・そのコミニティが親を守る。
雨が降ってくれば、その子達を使って「布団を取り込みなさい!」と指示する。
宅配便が届けば、代わりに預かってもらい、
子どもを経由して親に渡すあるいは、直接手渡して今日の●●くんのイタズラの報告をする。
回覧板は、ポストに入れる風習は昔はなかった。
子どもたちがそれを運ぶ役回りだった。
当然なくなれば大事件。町会長が怒鳴り散らす。
そこを近所のおばさん軍団がママを守る。シュンとする町会長。
親しまれながら、町会長は、町長選で当選する。
そんな、昭和のコミニケーションは、多分町の人が親をどれだけ守れるか?になってくるんだと思う。
そして、親が休日に、あるいは年末年始、お盆・・・近所にどれだけ貢献できるか!?になってくるんだと思う。
親は、子どもにかまっている暇は実はない。子どもが育つために環境を整えるのに必死だから。
育ませるのは地域です。
そして、親もまた成長していく。
社会人としても、財力も、そして、さまざまな経験をつむようになる。
オママゴトで子どもをあやしている程度で「親をやった気になっていたら」ぜんぜんダメ。
どうせやるなら「あやすのをやめて」、それ以外の子ども以外の調整に力を入れるべきです。
親がなくとも子は育つ。