【コラム】学校の必要性/不登校について

学校の必要性が昨今議論されているが、学校は本当に必要なくなってしまうのだろうか?

そして、学校の意義とはそもそもなんだったのだろうか?そして、これからの学校はどうなっていくのだろうか?

育み編の相談室に来る相談の多くは「不登校」の生徒さんや親御さん。

「学校に行きたいが、でも行けない」

「娘の不登校。なかなか、解決しない」

「学校にいきたくない。しかし、学校のような場所にはいきたい」

最近1カ月の間に相談を受けた件数は、NPOまちづくり川口にてなんと300件以上。

「新年になって行けなくなってしまった」と新年早々悩み続けている生徒もいる。

学校の必要性について、それぞれに聞いてみた。

「学校は、勉強するところ。きめられた勉強を教えてもらうべき場所」

「子どもたちが勉強を学ぶ場所」

「友人たちの交流、コミニケーションのやり方を学ぶ場所」

「義務教育だから」

「親が働いているから」

などなどの意見が寄せられた。

数十年前は、国力増強という具合で、国民一人一人が日本の経済や社会を成長させるために様々な教育が施されていた。しかしここ数年、子どもたちに対して、「国民」としてではなく、「子どもだから」と言う視点での教育をするようになっているのも現状である。

「守るべき」

という義務感でだけで稼働している状態。

だからといって「学校制度」をなくなって困るのは、社会全体。

しかし、以前のように「国家のため」「経済のため」ではなくなってしまった。

小学生~中学生までのいわゆる児童・生徒の世代はまさしくも「学ぶ」時期と言われる。様々な外的な体験や経験をもとに習熟し、それがその後の人生の糧になるとされている。しかし「知識」と言う観点だけでいえば、学校にいかなくとも情報にあふれているし、覚える覚えないは、学校に行かなくても行っていても、それはどうにかなる。

不登校になるはずの状況だ!

現状の社会・学校制度の裏で語られている現実は、

子どもに学校と言う枠に縛らせておいて、親がその間稼ぐとか社会のために活動するため。そして、枠のなかでまともにおさめるように学校は様々なアプローチで教育というものをしなくてはいけない。というのが現状のようだ。そこで「不登校」になったり「イジメ」があったり、「感染症」が流行しては困るわけである。枠におさまえなくてはいけない一心になっている。

これでは「不登校」もでるわ、「イジメ」も発生するわ、「学校がおもしろくない」モノになるし、「学校・教員」たちもプライドがずたずたになる。あくまでも「おもり」でしかないのだ。

子ども世代と私たち世代は、社会人として一緒に働く仲間になる。

子どもたちとは、未来を培う光であり、我らの後世代として担うべき存在。さらに、後世代でもありつつ、もしかしたら共に社会を築く世代でもある。すくなからず、私は30代であるが、現在の10歳の子どもたちが20歳になる10年後、まだ現役の社会人のはずで、共に社会を築く同胞になる。そこから60歳の定年まで20年間は共に歩むことになる。つまり社会生活を共に築く仲間なのである。

ともすると、単におもりされている必要性もなくなる。

おもりをしてもらうんじゃなく、育成されてもらいたくなる

一緒に働くとなると、自然とその存在の必要性がさらに貴重な存在であり、ただただ一日を過ごさせるのが無駄だと気付くはずである。10個の知識やスキルでは社会はなかなか通用しない。あれもこれも・・・と考えると、自分自身を育てるがごとく子どもたちへの期待も膨らむはずだ。

そうすると学校への期待は、「おもり」から「教育」へと変わる。しっかりと社会の現場にこさせられる様々なノウハウを身につけさせてもらおうと期待をするようになる。

繰り返しはいけない/身につける・骨身になる教育を!

しかし、その期待が過剰になったのが、受験戦争であったり詰め込み教育になったりもする。その経験を活かして、詰め込むのではなく身につけさせるということを軸とした教育を期待する。学校教員たちは、常に「身につける」「身にしみてもらう」教育を心がけている。自分たちが指導した影響が、その後着実に良い方向で反映されていてほしい、自分の1個1個の授業が彼らの将来の骨身になって欲しいと願っているのは教員の願いである。そういう工夫を常に考えている。そういう議論を親と教員、社会ができるようになることが重要なのである。

学校・教員は、プロです。

社会・国家からの子どもたちへの国力としての期待。親や親族・社会コミニティからの子どもの成長への期待は、ともすれば、想いばかりが強まって、過剰な教育を生む。それをコントロールするのが学校であり教員たちである。教員たちは、子どもたちが好きだ。好きな子どもたちにこのまれたいと思う。と同時に、好きな子どもたちが成長してくれるのを願ってやまない。しかし教員と子ども(生徒)、親と子どもの関係は、やはり親子の縁ほどではなく、学校が終われば子どもたちはそれぞれに散ってしまう。できれば、せめてまでも指導の影響が子どもたちの将来に役立つものであってほしいと願う。メッセージとしての教育を続ける。その思いが客観的視点により研究されている教育テクニックという形で反映される。

そのプロ集団たちが、考えていること、そのテクニックを活用できる機会が、今必要とされている。

つまり

抜本的な教育改革が社会全体で行われなければいけないのである。

1 Comment

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    増えてるみたいですね。
    うちの子もたまに「学校行きたくない」と言うので「じゃあ、家にいなよ」と休ませたらつまらなかったみたいで次の日には「やっぱり行きたい」と言い出して内心ほっとしたことがあります。
    いざとなったら別に行かなくてもいいと思いつつも、やっぱり社会の常識から子供が外れるのは怖いんですよね・・・。

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